【声マガ・インタビュー】稲垣 好

【声マガ・インタビュー】稲垣 好

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PROFILE

アイムエンタープライズに所属する稲垣いながきこのみさんは、新潟県出身の7月24日生まれ。『Do It Yourself!!-どぅー・いっと・ゆあせるふ-』(結愛せるふ役)、『機動戦士ガンダム 水星の魔女』(リリッケ・カドカ・リパティ役)、『SYNDUALITY Noir』(エリー役)等に出演。2024年は『僕の妻には感情がない』にミーナ役で出演。
作業ゲーム系が好きな父と乙女ゲーム系が好きな母の影響で、「幼い頃からゲームをよくやっていた」という稲垣さん。最近は、スーパー経営シミュレーションゲームやクッキングアクションゲームに夢中になり、「休みの日は気づいたら1日終わってることも」と笑顔を弾かせます。そんな稲垣さんに声優をめざしたきっかけや日本ナレーション演技研究所(以下、日ナレ)で学んだこと、今後の目標について語っていただきました。

憧れの事務所に続く場所で学べている喜びでいっぱいの日々

【声マガ・インタビュー】稲垣 好のインタビュー

声優という仕事を意識したのはいつ頃ですか?

小学3年生の時、クラスの女の子がほぼ全員アニメオタクでした。私もアニメチャンネルで『らんま1/2』など昔のアニメに夢中になり、漫画もたくさん読んでいるオタクで、皆と話をしている時に、「(アニメのキャラクターの)中には人がいるんだよ」とか「このキャラクターとこのキャラクターは同じ人の声なんだよ」と教えてもらったのが最初でした。

ご自身が声優をめざそうと思ったのはいつ頃ですか?

声優というお仕事を知ったのと同じ頃です。アニメオタクなクラスメイトのほぼ全員が「声優になりたい」と言っていて、「じゃあ私も!」って感じで声のお仕事を将来の視野に入れるようになりました。ちょうどその頃、自分の声について「ちょっと人とは違う」とか、国語の朗読の時間に、「超音波みたいな声」とか「その声で私は寝てしまうから読まないでほしい」と言われたこともめざしたいと思うきっかけになりました。その後、小学6年生の時に卒業記念で作った将来の夢を語る1分間くらいの動画で、「声優になりたい」と熱く語っておりまして(笑)、中学・高校時代も「声優になりたい子」として認知されていました。

日ナレを選んだ理由を教えてください。

中学生の時、私が好きなアニメに出ている声優さんが所属している事務所を調べて、アイムエンタープライズを知り、付属の養成所に日ナレがあることを知りました。すぐにでも入所したい気持ちがあったのですが、新潟に住んでいたし、家族も家から出てほしくないという考えだったので、高校を卒業したら、上京して入所しようと決めていました。ところが、高校卒業を間近に控えた頃、家族に「やっぱりダメ」と反対されたんです。というのも、私は世間知らずというか、当時は電車にも乗ったことがなかったし、貯金もそんなにないし、「いきなり東京で一人で生活していけるのか」と言われまして。その通りだと思ったので、まずは声優学科のある地元の専門学校で学びつつ、バイトしてお金を貯めることにしました。専門学校で2年間学ぶうちに、声優になりたいという気持ちやアイムエンタープライズに所属したいという気持ちはますます強くなって、卒業後すぐに上京して日ナレの入所審査を受けました。

入所した頃の日ナレの印象を教えてください。

専門学校で2年間学んだ経験があったので、本科の入所審査を受けて入所しました。歌とダンスと演技の週3回クラスを選んだのですが、初日が未経験のダンスでのレッスンで全然できなくて体調を崩しました(苦笑)。さらに、1分間自由なことをして自分をアピールするという時間がありまして。「私が最も苦手なことが来た!」と思っていたら、他の皆さんは、ラップをしたり、歌を歌ったり、本当にいろいろなものが繰り広げられて。ただ、怖気づいてしまう一方で、専門学校の時とは違って、日ナレは、高校生から社会人の方まで幅広い年齢の方がいらっしゃって、こんなにも個性豊かな人たちが集まっているんだと感じて、「すごく刺激的で、面白い!」とワクワクしたことを覚えています。

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その後、クラスや東京での生活にはすぐに馴染めましたか?

本科には基礎科から上がってこられた方がたくさんいらして、もうすでにグループができあがっている状態だったのですが、皆さん、すごく気さくに話しかけてくださいました。帰りに一緒にご飯を食べに行ったりと、アットホームな環境で通うことができました。東京での生活は、もう毎日が日ナレのレッスンのことで頭がいっぱいだったので、電車が怖いとかホームシックだなんて言っていられない状態でした(笑)。何より、ようやく憧れの事務所に続く場所に来られたんだから、ここで頑張らなきゃという気持ちでいっぱいでした。

当時の生活パターンを教えてください。

月、水、金でレッスンに通い、その他の日にバイトを入れて、お休みの日を1日作るという生活でした。最初はバイトを3つ掛け持ちしていました。でも、毎日、帰宅してから寝る間を惜しんで次のレッスンのための練習をしていたので、それだとお金は入るけど、身が持たないということで、生活を見直しながら、バイトを減らしてお休みを増やしていきました。翌年、研修科に進んでからは、週1回のレッスンに変えて、貯金も増えて生活も安定してきたので、余裕を持って練習に取り組めるようになりました。

自分の中の課題に自信をなくした研修科時代。講師の助言は今も力に

【声マガ・インタビュー】稲垣 好のインタビュー

研修科のレッスンはいかがでしたか?

1年目の時は、自分の中の課題だった「表現の幅が小さい、狭い」という壁にぶち当たり、自信をなくしてしまいました。でも、講師の方が実践的に指導してくださって、例えば、ボイスドラマのレッスンで、「何人かいる登場人物の中のどの役だったら自分は“需要”があるかを自分で考えなさい」と言われたことは今もすごく印象に残っています。それまで私は、自分に合う役を選んでいただき、こういう演技でやりなさいと指示してもらえるものと勝手に思っていました。でも、その逆で、受け身ではなく能動的に考えられるようにならなければいけないと。それをきっかけに、自分の声質や得意な芝居は何かを研究するようになったことは大きな変化だったと思います。

【声マガ・インタビュー】稲垣 好のインタビュー

壁を乗り越えられたんですね。

研修科1年目の時には、もう一つ講師の方との印象的な思い出があります。それまで私は、いろいろな声を出すことが好きだったので、幅広い役はできるけれど、キレイに読む癖があって、お芝居としては中途半端でキャラクターが生きていない「器用貧乏」と言われていたんです。そんな中、ある講師の方に「そんなにキレイに読むなら、アナウンサーをめざせばいい」と言われまして。私はあまり自分の意見を言うタイプではなかったのですが、その時は泣きながら「いや、私はお芝居がしたいんです!」と声を張り上げていました。講師の方は、口には出さないけれど「あなたならもっとやれるでしょ」という気持ちで私の事を信じて厳しい指導をしてくださっているのがわかっていましたし、あの時をきっかけに私は殻が破れた気がします。その後、研修科1年目の終わりには、講師の方が「あなたの芝居好きだよ」と言ってくださったんです。成長できている自分を実感できてすごく嬉しかったし、自信にもつながりました。

役者は満足したら終わり。一つひとつの現場が今も学びの場

【声マガ・インタビュー】稲垣 好のインタビュー

事務所に所属したのはいつですか?

研修科2年目の終わりのオーディションに合格し、憧れのアイムエンタープライズに所属しました。それまでずっと、あと少しという3次審査で落ちていましたが、研修科1年目での経験から自信も少しついていたので、全部を出し切って、あとは「合格」を待つだけという気持ちでした。合格の電話を受けたときは号泣してしまいました。ただ、所属してからしばらくは、実感が湧かないままでした。というのも、ずっと所属がゴールだと思っていたけれど、所属してからが本当の戦いの日々で、テープオーディションに何度も落ちて、やっと声優なんだという実感が湧き始めたのは、所属から半年後、お仕事をいただけるようになってからでした。

デビュー当時のお仕事で印象に残っているものはありますか?

初めてのお仕事はドラマCDのガヤでしたが、その1週間後にあった初めてのアニメ収録は、デビュー当時のお仕事の中で一番記憶に残っています。日ナレで学んで知識はあったものの、いざブースに入ったら、人数は多いし、現場の空気に圧倒されてしまいました。座る位置もマイクワークもわからなくて、これはもう自分ではどうしようもないと思って、隣にいらっしゃった大先輩の方に勇気を振り絞って「すみません、初めてなんですけど、こういう場合はどうしたらいいですか?」って尋ねてみたらその方が皆さんに私が初めてであることを伝えてくださって、音響監督さんも「このタイミングでこのマイクに右から入るんだよ」と手取り足取り教えてくださるなど皆さんが支えてくださって、緊張しつつも、嬉しくて泣きそうにもなった収録でした。

その後、すぐに仕事には慣れましたか?

いえ、今もベテランの声優さんたちと同じ現場に入ると、勉強になることがいっぱいあって、一つひとつのお仕事が勉強の場だと思っています。最近も、吹き替えのお仕事を初めて経験したのですが、外画の吹き替えは発声から何からアニメのそれとはすべて違いました。そのことは日ナレでも学びましたけど、いざ現場に入ると、やはりわからないことは多いので、自分からどんどん聞いて、どういうお芝居をしたらいいのか意見をいただくことも大事だなと改めて思いました。役者って満足したら終わりですからね。

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そんな現場で、日ナレで学んだことが活きていると実感したことはありますか?

「声優って“声”が“優れる”と書くのだから、声が耳に心地の良いものであるなど、プロとして完成されているものでなければいけない」と言われたことです。お芝居の表現を広げなければと思うと、とにかく自分の感情を優先してしまいがちです。そんな時は、今も、自分の声を録音して、聴き直して、どういうふうに言ったら気持ちよく聴く人の耳に届き、自分の思っている表現が伝わるかを心掛けて意識しています。

では、デビューしてから感じているご自身の変化はありますか?

所属してから2年くらい経った頃、『Do It Yourself!!-どぅー・いっと・ゆあせるふ-』の主役のせるふ役を演じてから、自分自身のキャラクターについてだけでなく、その作品の中で自分がどういう役割なのか、どうしたら作品そのものが面白く盛り上がるかを考えるようになりました。主役を演じるということで、最初は自分が作品を引っ張っていく存在と気負っていたんです。でも、周りの方々との掛け合いから生まれるものがあるということや、作品は全員で作り上げているものだということを実感して、さらにこの作品ではイベントなどいろいろな展開もありましたので、より多くの方々が作品に関わっていることに触れ、皆で作り上げる楽しさを一層感じるとともに、自分のキャラクターだけでなく、作品自体を愛していただきたいという気持ちが強くなりました。

今後はどんな声優をめざしていますか?

キャラクターが生きていることが大事だと思うので、私の声を聴いた時、私の顔が出てこない声優でいたいです。でも、自分にしかできない表現も入れたいですから、「なんか今の面白い」と思ってクレジットを見て初めて「これも稲垣好さんがやっていたんだ!」って思っていただけるような声優になりたいです。

キャラクターに命を吹き込むという大切なお仕事をさせていただいているので、そのキャラクターの年齢や生きてきた環境を踏まえて、どういう体の使い方をして、どういう声の出し方をするのか考えられるように、自分自身がいろいろなものを見て、聞いて、体験して、自分の中の引き出しを増やすようにしています。声優のお仕事では、異世界の作品に出演することもたくさんありますから、想像力も鍛えられるように、また、表現の幅を広く持つために、技術力を鍛えることも大切にしています。

最後に声優をめざしている方へメッセージをお願いします。

表現の幅を広げるために、いろいろな経験をして、いろいろな知識を入れて、自分と向き合ってほしいです。夢に向かう中で、自分はやっぱり声優には向いていないかもとか、悩んだり、辛い思いをしている人もいるかもしれません。でも、あなた一人ではありません、私もそうだったし、皆、同じ思いをして頑張っています。何より、その先に待っているやりがいや楽しさは、あなたの想像のもっと上を行くものです。声優って本当に魅力いっぱいのお仕事ですから、一緒に頑張りましょう!

プロフィール

稲垣いながき このみ

所属事務所
アイムエンタープライズ

主な出演歴

  • 僕の妻は感情がない(ミーナ)
  • SYNDUALITY Noir(エリー)
  • Do It Yourself!! -どぅー・いっと・ゆあせるふ-(結愛せるふ)

稲垣 好

●インタビュー動画はこちら

日本ナレーション演技研究所 公式YouTubeチャンネル

https://www.youtube.com/watch?v=pZojJw3dD7c&t=9s

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