【声マガ・インタビュー】春野 杏

【声マガ・インタビュー】春野 杏

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PROFILE

アーツビジョンに所属する春野はるのあんずさんは、神奈川県出身の10月30日生まれ。『潔癖男子!青山くん』(後藤もか役)、『ブレンド・S』(星川麻冬役)、『ゆらぎ荘の幽奈さん』(信楽こゆず役)等に出演。2019年7月放送の『可愛ければ変態でも好きになってくれますか?』では、藤本彩乃役で出演。
サッカー好きの春野さん。その好きになった理由がとてもユニークで、もしも野球のボールがあたったら大ケガしてしまうかもしれないけれど、サッカーのボールなら大丈夫かもしれないと思ったからだとか(笑)。そんな春野さんに声優をめざしたきっかけと日本ナレーション演技研究所(以下、日ナレ)で学んだことや、今後の目標についてお話していただきました。

「人と上手にしゃべれるようになりたい」、その一心で日ナレへ

【声マガ・インタビュー】春野 杏のインタビュー

声優という仕事を意識したのはいつ頃ですか?

かなり遅かったと思います。厳密にいえば、それこそ日ナレに入所してからといっていいと思います。小学校低学年の頃は、ピカチュウはピカチュウとして、カービィはカービィとして、どのキャラクターも存在していると真剣に思っていました。それが、小学3年生のクリスマスにポケモンシリーズに登場する本物のゼニガメが欲しくてサンタさんにお願いしたのですが、母から「ごめんね、杏。サンタさんはママたちなんだ。だからゼニガメは持ってこられないの」と告白されたんです。そして同時に、ピカチュウもカービィもこの世の中に存在しないことを教えられました。

お母さんの告白を聞いて、どう思いましたか?

サンタさんもポケモンもこの世の中にはいないなんて! ダブルショックでした(笑)。

では、この時点ではキャラクターに誰かが声をあてているとは思わなかった?

はい。全く! だから、テレビを観ていて「とてもいい声の人だなあ」と思った時も、それが声優さんだとは思いもしませんでした。

では、声優の存在を認識したのはいつですか?

中学に入学してからです。クラスにアニメ好きの同級生がいて、その人たちから知りました。「どうやらピカチュウの声は人間がやっているらしい」と。ここでまた衝撃を受けました(笑)。

当時のお話をお聞きしていると、アニメが実際どのように制作されているのか、その現実をあまり知りたくなかったように感じるのですが?

そうかもしれません。たしかにゲームをやっている時、「なんでこのキャラクターはしゃべっているんだろう」と不思議で仕方なかったのですが、当時はそれ以上のことは考えませんでした。あえて考えないようにしていたのかもしれないし、そもそも声優という存在自体にそこまで興味がなかったからかもしれません。

では、そんな春野さんが日ナレに入所しようと思ったのはなぜですか?

高校2年生の時、取り寄せた日ナレのパンフレットに、人と話すのが苦手な人でも通えると書いてあったんです。私は内気な性格で、人としゃべるのが苦手だったので、「日ナレに通えば上手にしゃべれるようになるかもしれない」と思ったのがきっかけでした。日ナレが所内オーディションを行っていて、声優という職業と直結している養成所だということは知っていました。でも私は声優をめざしていたわけでもないし、憧れの声優さんのようになりたいわけでもありませんでした。それよりも、「誰とでも上手にしゃべれるようになりたい」という気持ちの方がはるかに強かったんです。私は変わっていると言われることが多くて、自分の思っていることをしゃべると、みんなが私の周りから散っていってしまうんです。この「人とうまくしゃべれない」という悩みは私にとってとても切実なものでしたから、それを克服できるなら、と思い日ナレに入所しました。

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ご家族の反応はいかがでしたか?

「こういうところ(日ナレ)があるから行ってみたいな」とパンフレットを母に見せると、「声優をめざすの?」と聞かれました。でも、この時点では行ってみないとわからないし、そもそも自分が向いているのかもわからないから「3年間の期限付きで、他の習い事や塾などには行かないなら」という条件で入所を認めてくれて、お金も出してくれました。

日ナレを知ったきっかけを教えてください。

ネットの広告で見かけたのと、親しい友人からも「声優の養成所なら日ナレがおすすめだよ」とも教えてもらいました。

実際に入所してみていかがでしたか?

私は横浜校が開校したその年に入所したんです。自宅から代々木に通うには遠いし、金銭的にも負担がかかるので悩んでいた時に、横浜校開校を知りました。入所当初は受講生の年齢の幅が広くて、誰とどのように親しくなれば良いのか分かりませんでした。また演劇の経験者もいたので、自分がこの中でやっていけるのか、とても不安でもありました。クラスメイトはみんな私より年上だったので最初は少し気後れしましたが、みんなが「今の良かったよ」と声をかけてくれるようになってからは徐々にみんなと仲良くなって、回を増すごとに緊張が和らいでいきました。

基礎科でのレッスンで、印象に残っていることがあったら教えてください。

大きな声を出す習慣がなかったのと、他の人と比べ舌がやや大きくて厚いので、発声に関してもかつ舌に関してもとても苦労しました。すべてがいろいろ足りないところからのスタートだったので講師の方にいろいろ相談しながら、ちょっとずつ、ちょっとずつ、ゆっくり前に進んでいったという感じでした。

演技に触れるのも初めてだったと思うのですが、戸惑いはありませんでしたか?

これが不思議な話なのですが、演技への抵抗はほぼありませんでした。事前に台本をもらっているので、相手のしゃべることがわかっているから、日常会話に比べれば上手くしゃべれたんです。それがとても嬉しくて、この経験で「お芝居って楽しいな」と思えるようになりました。

萎縮していた自分の心を解放してくれた講師の言葉

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基礎科の講師から教わったことで、印象に残っていることや言葉があったら教えてください。

「あなたはとてもいいものを持っているのに、どうしてそんなに縮こまっているの?」とよく声をかけてくれました。当時の私はレッスンの時だけでなく、日常生活でもビクビクしていたのですが、そんな縮こまった心を解きほぐしてくれたんです。また、「しっかりやれば、もっと上達できるから自分の能力をしっかり把握して」と、褒めてもくれました。そのおかげで頑張ろうと思えるようになっていきました。

当時の生活サイクルを教えてください。

私は週1回クラスで、平日は高校に通って、週末にレッスンに通っていました。大学に入学してからも、このペースは変わりませんでした。

大変でしたか?

当時はそれほど忙しいとは思いませんでした。ただ、「週1回のレッスンで大丈夫なのかな」と不安も感じ始めていました。

それはなぜですか?

基礎科の終わりに所内オーディションを経験したのですが、この後、急激に「声優になりたい」という気持ちにスイッチが入りました。仮に声優でないにしても、何らかの表現に携わる仕事につきたいと思うようになったのですが、同時に「なれないかもしれない」という焦りの気持ちも、私の心の中に生まれました。

本科では舞台形式でのレッスンが中心だったと思うのですが、いかがでしたか?

本科の舞台発表で重要な役をいただいたことがあったのですが、本番で噛み倒してしまいました。私は人前ではあまり泣かないのですが、この時は悔しくてみんなの前で泣きながら謝ったんです。すると講師の方が「自分らしくできたから、それでいいんだよ」と言って励ましてくれました。

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いいお話ですね。

その優しさにまた泣いてしまいました(笑)。私はこの時の経験を通して、人として少し成長できたような気がしています。声優はマイクの前では一人ですが、作品づくりは誰が欠けても成立しない共同作業です。その共同作業の大切さを、本科で教えていただけたのは、私にとって大きな学びになりました。

とても大切なことを学んだのですね。

実は本科の頃は、観客を意識すると途端に集中できなくなってしまうタイプだったんです。ところが、研修科ではお芝居に没入できるようになったんです。それはこの時の経験があったからだと思っています。「もうこれ以上、悪くなりようがない」と開き直れて完全に吹っ切れました(笑)。

演技を理論的に学ぶことができた研修科でのレッスン

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研修科のレッスンで、印象に残っていることはありますか?

いきなり演じることをしないで、まず座学で2ヶ月くらいお芝居を理論的に学んだんですが、その過程で自分の中にあるいろいろな悩みが明確になりました。

具体的にはどのようなことでしょうか?

自分を思い切り出して演じたのに、不完全燃焼になってしまうことが度々あったんです。その原因がわからなかったのですが、なぜ失敗したのか、なぜ変な間が生まれたのか、そして具体的にどうすれば解決できるのかが2ヶ月間の講義を通してわかるようになったんです。「ここはもっと間を詰めた方がいい」とか、「ここでは私の方がもっと大きな声で話せば、その後の流れが円滑になる」とか。この座学を経験したことで、様々な問題を受講生同士で解決できるようになりました。

大きな転機になるレッスンだったわけですね?

そうなんです。講師の方がおっしゃっていることが、どれも自分の中で腑に落ちるものばかりでした。この座学を通して、相手も自分も気持ちよくお芝居ができる知識を得ることができました。プロになった今でも、自分の言ったセリフが不自然だと感じた際は現場で修正するのですが、こうしたことが具体的にできるようになったのは、研修科の頃に講師の方から教えていただけたからだと思います。

研修科の講師から教わったことで、他に印象に残っていることや言葉があったら教えてください。

「そのままでいいんだよ」と講師の方から言ってもらえたのは、とても大きな財産です。私はこの時、母と約束した3年間のラスト1年に突入していたので、「もう声優にはなれないかもしれない」と弱気になっていたんです。でもそんな諦めかけていた私の心を、研修科の講師の方は前向きにしてくれました。

例えば?

私はふにゃふにゃした話し方で、それがずっとコンプレックスだったんですが、講師の方はありのままの私の個性を認めてくれました。課題でラジオドラマを制作した際に、私は素の自分に近い役柄を演じるよう振り分けられました。いろいろなキャラクターを演じる際、その個性に合わせにいくよりも、自分にキャラクターを寄せていく方が私には合っていると講師の方は判断されたのだと思います。

なるほど。

それまでの私は、多彩な個性を持っていないとプロでは通用しないと思いこんでいたのですが、それは何年もやっていく中で、ようやく身につくものであって、自分の武器がまだわかっていないなら、得意なものを追求する方がいいんじゃないか、と。春野杏という人間のベースが何なのかを教えていただけたと思っています。

では日ナレで学んだことで、プロになって活きていることがあれば教えてください。

プロの世界では、音響監督さんの指示に現場ですぐ反応できることがとても大切です。もし自分の演技が、監督さんの考える正解でなかったらすぐに他のお芝居を考えて演じてみせなければなりません。その時に大切なのは、相手の言うことを「それは違う」と決めつけないで、まずやってみようと思う柔らかい心と前向きな気持ちです。日ナレでは、いろいろな講師の方からさまざまなお芝居に対する考え方や演じ方を教えていただきました。そのベースをもとに、現場でいろいろな要望に対応できるよう頑張ろうと思っています。

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事務所に所属したのはいつですか?

研修科1年目の終わりにアーツビジョンに所属しました。親との約束だった3年目の年だったので、本当にギリギリセーフでした。

手応えはいかがでしたか?

その時の審査では「歌を歌ってください」と言われたのですが、立ち上がっても何も浮かびませんでした。それで、とっさに私の住んでいる市の市歌を歌ったのですが、当然その場にいる方々は、偶然同じ市に住んでいた方以外誰もわからない(笑)。それで変な雰囲気になってしまったんです。内心「ああ、やっちゃったなあ。こりゃもうダメだ」と思いました(笑)。

それがなぜか受かった(笑)。

(笑)。自分らしくやれたのがよかったんでしょうか。私はまさか受かると思っていなかったのでなかなか実感が湧かなかったのですが、事務所と契約書を交わして、いろいろな説明を受けているうちにようやく気持ちが追いついてきました。それでも当時は、これで就職活動が急に終わってしまったわけですから、社会人として何から始めればいいのかわからず戸惑っていました。

アニメのデビューはいつですか?

『ももくり』というwebアニメの女子生徒役でした。テストだけはみんなで行ったのですが、私は別収録で、その場に同期の藤原夏海さんが一緒だったので、初の現場でしたが比較的落ち着いて臨むことができました。

ご自身の考える声優の魅力について教えてください。

いろいろな職業や立場をたくさん経験できることだと思います。それと、演じるキャラクターからいろいろな気持ちを教えてもらえます。例えば、元気がない時、次のお仕事で自分の演じるキャラクターが元気だと、台本を読んでいるうちにいつしか自分も元気をもらえたりするんです。それが声優というお仕事の醍醐味だと思います。

声優をめざしている方へメッセージをお願いします。

私は当初は声優をめざしていたわけではないので、この業界の基礎的な知識がほとんどありませんでした。私の場合は、後になってたくさん勉強しましたが、声優というお仕事以外の様々な知識が、声優になった後に助けてくれることがあるかもしれません。頑張ってください!

プロフィール

春野はるの あんず

所属事務所
アーツビジョン

主な出演歴

  • 可愛ければ変態でも好きになってくれますか?(藤本彩乃)
  • ゆらぎ荘の幽奈さん(信楽こゆず)
  • ブレンド・S(星川麻冬)

春野 杏

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