【声マガ・インタビュー】福原 綾香

【声マガ・インタビュー】福原 綾香

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PROFILE

ヴィムスに所属する福原ふくはら綾香あやかさんは鹿児島県出身の12月31日生まれ。『アイドルマスター シンデレラガールズ』(渋谷凛役)、『賭ケグルイ』(五十嵐清華役)、『キャプテン翼』(岬太郎役)等に出演。2019年4月放送の『Fairy gone フェアリーゴーン』ではヴェロニカ・ソーン役で出演。
1年くらい前から体力作りのために、パーソナルトレーニングのメニューを組んで、(最低でも)1週間に1時間、体を鍛えているという福原さん。初めのうちはトレーニングの後は、体がだるかったり、痛かったりしたそうですが、現在は以前よりも気力・体力ともに粘り強さが身についてきたのだとか。そんな福原綾香さんに日本ナレーション演技研究所(以下、日ナレ)で学んだことや、今後の目標についてお話していただきました。

大学合格が日ナレ入所の絶対条件

【声マガ・インタビュー】福原 綾香のインタビュー

声優という仕事を意識したのはいつ頃ですか?

小学校5年生か6年生の時だったと思います。『HUNTER×HUNTER R』という声優さんが出演するラジオ番組を聞いた時、キャラクターの中の人が存在することを初めて知りました。そしてその出演している方々が、アニメ『HUNTER×HUNTER』でキャラクターを演じている時とは違う顔を見せていて、番組内のやり取りもとても面白かったんです。「こういう人たちが、アニメのキャラクターを演じているんだ」という新鮮な驚きとともに、すっかり魅了されてしまい、「私は絶対声優になる!」とその時に決めたんです。

友達にそのことを話しましたか。

話していました。私は鹿児島県出身なのですが、地元では声優をめざしていること自体、珍しかったみたいで、学年中のみんなが私のことを知っていて、とても応援してくれました。

ご両親はいかがでしたか?

中学生くらいまでは、憧れの一つ程度にしか思っていなかったんだと思います。大人になったら、どこかで見切りをつけて就職してくれるものだろう、と真に受けていませんでした。ところが、高校の三者面談で、私が「声優になりたい」と言い出した時は、さすがに両親も、「娘は本気だ」と思ったようです。

納得してもらえましたか?

全く聞き入れてもらえなくて、大ゲンカをしました(笑)。私の親戚は、安定した職業に就いている人が多かったので、両親は声優という将来の保証がない仕事をめざすことに、とても心配していました。

どうやってご両親を説得されたのですか?

話し合った結果、何かしらの国家資格を取れる大学に受かったら、声優をめざしてもいい、という条件を引き出すことができました。当時の私は、管理栄養士に興味があったので、その資格が取れる大学を受けることに決めて、それからは脇目も振らず、受験勉強に没頭しました。

その時点で日ナレの存在は知っていましたか?

はい。ラジオCMで知っていました。当時の私は可能な限り早くプロになりたかったので、入所1年目から事務所に所属するための所内オーディションがあるシステムに惹かれました。それから資料を取り寄せて調べると、学費があまり高くなく、大学とのダブルスクールも可能だとわかったので、「日ナレしかない」と思うようになりました。実は高校3年生の時に、母と一緒に鹿児島から東京へレッスンの見学に来たのですが、その時のレッスンが、適度に緊張感があるもので、私の求めているものに近かったのも、日ナレに決めた大きな理由です。

そして、ご両親から課された条件は見事クリアしたわけですね。

両親からするとかなり高いハードルを設定したつもりだったようですが、私が大学に合格してしまったので、仕方なく日ナレ入所を認めてくれました(笑)。

入所した頃の日ナレの印象について教えてください。

基礎科のクラスメイトは、強烈な個性をもっている人ばかりだったので、逆に誰も突出して見えないという不思議なクラスでした(笑)。私は「声優をめざす人って、こういう人たちなんだ!」と当時は思っていたのですが、たまたま濃いキャラクターの人たちが集まっただけだったようです(笑)。

人前で演技するのは初めてだったと思うのですが、緊張しませんでしたか?

やっと演技の勉強ができるという気持ちが、緊張感や恥ずかしさを上回っていました。エネルギーが制御できない子どものように、ひたすら演じることが嬉しくて仕方なかった記憶しかありません。ただ、「外郎売ういろううり」の課題は大変でした。そもそも「外郎売ういろううり」が何なのかわからなかったので、その意味を調べるところから始めました。でも、そのおかげでかつ舌だけでなく歴史の勉強にもなりました。

【声マガ・インタビュー】福原 綾香のインタビュー

練習はどこでしていたんですか?

自宅とカラオケボックスを課題によって使い分けていました。自宅では、「外郎売ういろううり」をお風呂で半身浴をしながら練習していました。それに対して、カラオケボックスは、舞台のセリフなど声を張り上げる練習の際に使用していました。

入所当初の生活サイクルを教えてください。

大学は週5日と土曜日の午前中に通って、日曜日は、レッスンと課題を練習する日に使っていました。当時の私は、日ナレの課題に行き詰まったら大学の勉強をして、大学の勉強に行き詰まったら日ナレの課題をする、という風に大学とレッスンの両立を工夫しながら楽しんでいました。

基礎科の講師の方に教わったことや、かけられた言葉で、印象に残っているものがあれば教えてください。

年1回行われる進級審査の前、その時の私はかなり行き詰まっていました。そんな私を察して、「あなたは輝ける人なんだから大丈夫」と講師の方がおっしゃってくださったんです。声優をめざしてから、誰かにそんなことを言ってもらったことがなかったので、とても嬉しかったです。今でもヘコみそうな時は、あの時、講師の方からいただいた言葉を思い出すようにしています。

本科のレッスンが、自分のめざす芝居の高みを教えてくれた

【声マガ・インタビュー】福原 綾香のインタビュー

本科では舞台形式のレッスンが中心になると思うのですが、いかがでしたか?

シェイクスピアの戯曲が課題だったのですが、一つのセリフに複数の意味があるため、体力だけでなく、頭もとても使いました。言葉の意味を自分が読んだままではなく、別の意味を持たせながら観客に伝えなくてはならないので、とてもエネルギーを使いました。

シェイクスピアの戯曲に触れた率直な感想を聞かせてください。

わかりやすい起承転結がないので、何が面白いのか正直わかりませんでしたが、読み込むうちに、役者が演じながらセリフの意味をふくらませて、物語を面白くするものだと解釈するようになっていきました。すると今度は、作品の中に描かれている人間の悲哀や愚かさを表現することが、果たして自分にできるのだろうか、と不安になり、「演じるってなんでこんなに大変なの?」と、またそこで悩むようになりました。

実際に演じてみていかがでしたか?

大変でした(笑)。女王の役を演じたことがあったのですが、当時19歳だった私にとって、優雅な動きや迫力をみせることは、とても難しいことでした。

講師の方からは何かアドバイスはありましたか?

ある日、講師の方が、私たちが演じた作品を、プロの方が演じている映像を見せてくださったんです。そこでは最低限の表現でありながら、適切で、美しく、セリフに違う意味を持たせた演技が繰り広げられていました。色気を持たせながら高度なレベルで実践している、そんなお芝居を目の当たりにしたことで、私は絶望感に襲われました。

絶望感ですか?

例えるなら、答えはわかるけれど、どうやってその答えが導き出されたのか、その過程がわからない、そんな感覚です。

【声マガ・インタビュー】福原 綾香のインタビュー

この経験以降、福原さんの中で変わったことはありますか?

月に最低1回は舞台を観に行くようになりました。そうしていくうちに、あることに気づくようになりました。自分だけが一生懸命ではダメ、全体の流れを読んで、その空気に乗ったり、あえて壊してみたり。場の空気を読みながら演じることが、いかに重要かを知りました。本科のレッスンは心身ともに大変でしたが、自分のめざしているお芝居の高みについて真剣に悩み考える、絶好の機会だったと思っています。

研修科ではマイク前のレッスンがメインになると思うのですが?

当時の私は、マイクに入るセンスがまるでありませんでした。「そんなことに、センスが必要なの?」とツッコまれそうですが(笑)。当時の私は、自分がマイクの前に入るタイミングがわからなかったんです。みんなが普通にできることを私だけできなかったので、かなり恥ずかしい思いをしました。

どのように克服したのですか?

舞台と同じで全体の流れをすべて把握していれば、自分の番が回ってきても冷静に行動できるはず、と考えて、台本を始めから終わりまで、自分のセリフではないところまで読み込んで、レッスンに臨むようにしました。その繰り返しの中で、克服していきました。

日ナレのレッスンを受ける中で、成長を実感できた出来事はありますか。

所内オーディションの事務所面接の時、「これでダメなら、もう二度とこの場所に立つことはできない」という覚悟を持って臨んだのですが、とても冷静に自分を出すことができました。終わった後、日頃の日ナレのレッスンが一番大切な時に活きた、と強く感じました。

『渋谷凛』は私の戦友

【声マガ・インタビュー】福原 綾香のインタビュー

事務所に所属したのはいつですか。

研修科1年目の終わりに所内オーディションで合格して、ヴィムスに所属しました。何度も通知を見ては見間違いじゃないか、と確かめました(笑)。ずっとめざしてきた目標だったので、言葉にできないくらい嬉しかったです。

ご両親は喜んでいらっしゃいましたか?

むしろその逆でした。うさんくさい業界の人間に騙されていると思っていたようで、事務所の社長に会うために鹿児島から上京してきました。当初は喧嘩するくらいの勢いでしたが、実際の社長は、父や母が想像していた人とはまるで違う常識的で上品な人だったので、拍子抜けしたようでした(笑)。両親の質問に対しても、社長は丁寧に答えてくれたので、二人ともとても安心していました。

デビュー当時の作品で、最も印象に残っているものを教えてください。

『アイドルマスター シンデレラガールズ』です。その時の私はまだ、この作品についてあまり詳しくありませんでした。上辺だけ調べてオーディションを受けるのはかえって失礼だと思い、「渋谷凛という私が演じるキャラクターにだけ向き合おう」と思い、彼女のオーディション原稿のみを読んで、オーディションに向かいました。

渋谷凛というキャラクターは、福原さんにとってどのような存在ですか。

一言で表現するなら戦友です。凛ちゃんは、もともと一本気な性格ですが、この7年間で柔軟性や社交性を身につけてきました。また、慈しみの気持ちも芽生え始めてきています。そんな彼女の変化を一番身近で見てきた私が、彼女の成長していく姿を、観てくださる方にしっかり伝えていかなくてはいけないと思っています。これからも、彼女とは一緒に歩いていきたいです。

デビュー当時と現在で、考え方が変わった点等があれば教えてください。

現場ごとに、アプローチの仕方を変えることができるようになりました。音響監督さんが変われば演出も変わります。お芝居の流れを汲んだうえで、このセリフが欲しいとおっしゃる方もいれば、感情の流れを一から組み立てるお芝居を求める方もいらっしゃいます。ですから、事前の台本チェックは、音響監督さんがどなたなのか頭に入れたうえで行うようにしています。そうやって準備しておけば、たとえ現場で変更があっても落ち着いて対処することができます。デビュー当時と比べて、この点は大きな変化だと思います。

【声マガ・インタビュー】福原 綾香のインタビュー

ご自身の考える声優の仕事の魅力について教えてください。

生活の中で味わう、様々な感情や体験を活かすことのできるお仕事だと思います。それに今は自分から発信していけば、趣味や自分の考えていることを、幅広くお仕事に結びつけることができます。それも魅力です。

今後の目標を教えてください。

30代で番組のナレーションと、劇場版作品のメインキャストの吹き替えをやらせていただきたいです。私はおばあちゃんになっても、このお仕事を続けていきたいと思っています。そのためにも、ナレーションのお仕事は、30代のうちに絶対に経験しておきたいです。

最後に声優をめざしている方へメッセージをお願いします。

目に見えているものすべてが声優の勉強になると思っています。友達と話している時でも、「この人はこういう話し方をするんだ」とか、アニメを見ていても、「こういうアプローチがあるんだ」という風に、学ぶ方法はいくらでもあります。そして、もし国家資格の取得と声優の両立をめざしているという、ピンポイントな悩みをもっている方がいたら、福原綾香という前例がありますので、周囲の方から反対された時や、弱気になった時は是非、私の存在を思い出してください(笑)。声優をめざす方法に、正解はありません。夢を叶えたいという気持ちは、誰にも否定できるものではありませんから!

プロフィール

福原ふくはら 綾香あやか

所属事務所
ヴィムス

主な出演歴

  • キャプテン翼(岬太郎)
  • 賭ケグルイ(五十嵐清華)
  • Fairy gone フェアリーゴーン(ヴェロニカ・ソーン)

福原 綾香

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