下野 紘さんインタビュー
2007年2月20日アニメイトタイムズ掲載インタビュー
PROFILE
下野 紘 4月21日生まれ。アイムエンタープライズ所属。
初めての失恋が声優を目指すきっかけ
一番最初になりたいと思ったものは何ですか?
5歳の頃、『ウルトラマン』の再放送を見て、ウルトラマンになりたいと思ってました(笑)。その時、ウルトラマンの絵ばっかり描いてたみたいです。その次になりたかったのが警察官。理由はパトカーがすごくかっこよかったので乗りたかったんです(笑)。その後が小学校5年生の時に『ダウンタウンのごっつええ感じ』に影響を受けてコメディアンになりたいと。エセ関西弁を使い出したり、街で見知らぬカップルにいきなり、「まゆげボ~ン」というギャグをやってみたり、本当に変な子供でしたね(笑)。
その頃からアニメも見始めて、中学1年あたりで熱心に見るようになりました。中学2年生の頃に『無責任艦長タイラー』というアニメにハマり、同じ時期に声優専門誌が出はじめて、「こんな仕事があるのか」と声優の仕事を認識して、中学3年の時には声優になろうと思い始めました。きっかけは失恋だったんですけどね。
どうして、声優につながったんですか。
中学時代に初めて女の子と付き合って…付き合うと言っても一緒に遊びに行ったりするくらいでしたけど。2カ月くらい付き合ったんですけど、受験近くにて結局、別れることになって、初めての失恋だったのですごくショックを受けました。そんな時、声優さんがやっているラジオを聴くようになったら心の痛手もいつの間にかなくなって、普通におもしろいと思うようになりました。冨永み~なさんと椎名へきるさんの『マルチメディアカウントダウン(ドリカン)』や『ぬわんっちゃってSAY YOU!』が好きでよく聴いていましたね。『ぬわんちゃってSAY YOU!』の中で放送されていたラジオドラマ『爆裂ハンター』も大好きでした。『ドリカン』では好きな曲がかかるとラジカセで録音してました。
それと同じ頃、なぜか『無責任艦長タイラー』のことを思い出して、「また観てみようかな」と思ったら、ずるずるハマっていって。
失恋の痛手から将来の進路も見えなくなって悩んでいた時に、アニメを見たり、声優さんのラジオを聴くことで救われた気がして。ラジオなどを聴いていても「この人達はどうしてこんなに楽しそうに仕事をしているんだろう。こんな楽しそうな仕事があるんだ」と思いました。また『タイラー』という作品に出会って、タイラーのように、どんな時も笑っている人になりたいと思いました。どんな状況の人でも笑っている一瞬だけは誰でも幸せだから。「人に幸せを与えることができて、自分も楽しめる、声優はそんな仕事なんだ」とわかったら、「俺は声優になる」という決意が芽生えて。そこから一気に目の前が開けてきたんです。
この頃、日ナレが中学卒業以上なら通えることも知っていたので、すぐ母親に「自分は声優になる! だから高校に行かない」と宣言しました。そうしたら母から「頼むから高校だけは出て。高校に行ってそれでも決心が変わらなかったら自分の好きなようにしていいから」と言われたので、高校でも声優のための訓練ができるように演劇部がある学校を選びました。
演劇部では演技の基礎など教わったんですか?
教わったというよりも、自分達の事は自分達でやっていく形だったので、みんなで台本を持ち寄ったりして練習してました。持ち寄る戯曲もだいたいが2時間程度のものなので、高校演劇での許容時間である1時間程度にセリフや内容を構成したり、選曲したり、すべて自分達でやりました。ちなみに僕が副部長を務めた時には監督・脚本・演出・音響・照明・舞台監督・出演のすべてをやっていた時期もあります。大変だったけどおもしろかったですね。それに演技の基礎を人から学ばなかったけど、型にハマらずに自分達で考えながら作っていくことで、常にセリフの裏にある感情を考えながら自然に芝居をする癖がついていて。なので、その後の日ナレでの講師の方の指導も素直に吸収できたのかなと思います。
学校を選んだ要素は自分のスタイルに合ったカリキュラムと受講料の安さ
いろんな声優の学校の中から日ナレを選んだ理由は何だったのでしょう?
高校卒業時にはどこの学校に入ることも可能でしたが、受講料がとにかく安かったんです。日ナレの週1回のコースだと他の専門学校の通常コースの約1/3くらいで済むこと。そして芝居の勉強のほかにもアルバイトをしてお金も稼ぎたかった。「安くて芝居の勉強をしながら働ける」自分の理想に合っていたのが日ナレだったんです。
それに、僕は人よりちょっとゆっくりなところがあって、1回考えるとじっくり突き詰めてからでないと前に進めないタイプなんです。だから1回教わって、それを1週間の間に自分の中で考えて納得して、次のレッスンに進むというスタイルも合っていました。毎日レッスンを受けていたらそれを吸収できず、パニックになっていたかもしれません。自分のペースで前に進めたこともよかったです。
印象的なレッスンを挙げてもらえますか?
特に基礎科の時にやった感情開放は印象的でした。まずシチュエーションで花を摘んで、その花がきれいだなという芝居をした後、レッスン場の明かりを消して、みんな横になるんです。講師の方から、深呼吸して気持ちをリラックスするように言われて。そして桜の樹を思い浮かべて、自分の頭の上に桜の樹が立っているのを見ている気持ちになり、風に吹かれて桜の花びらが散った様子を見てどんな気持ちになったか想像してみなさいと。それが終わってまた芝居をすると最初は棒読みだったセリフもいろいろな感情が詰まったセリフになって。「感情ってこんなに大切なものなんだ」と再認識させてくれました。日ナレのレッスンでは基本も大切だけど、芝居では「感情」、「心」が大切だということを教わった気がします。
思いがけないスピードでプロへ
下野さんが今の事務所に入った経緯を教えていただけますか?
日ナレに入所して、基礎科、本科、研修科を経てオーディションに合格すれば事務所に入れると思っていたので、「僕もそういう流れになるんだろうな」と考えていたら、所内オーディション(アーツビジョン、アイムエンタープライズ等、関連事務所の合同オーディション)は、基礎科、本科の生徒も受けられると知ったんです。でも「まだ基礎科だし、たぶんダメだろう」とあまり期待はしていなかったんですけど、進級審査が終わって数日後、「1次審査を通過したので、2次審査用のデモテープを作ってください」と言われてビックリしました。
すごく動揺しましたが、「まずはデモテープを作らなきゃ」とあわててマイクを買いに行きました。それで家のコンポにつないで吹き込んでみたら録音レベルが低くて、声が小さいままで。そうこうしているうちにデモテープ提出の締め切り日になって、でもどうにもならなくて、デモテープに「家の機材の関係で声は小さいですがよろしくお願いします」と一筆添えて提出しました(笑)。「これはダメだろうな」とあきらめていたんですが、しばらくしてまた連絡があって「2次審査に受かりましたので、アイムエンタープライズで3次審査の面接を受けてください」と。また驚きました。
そして奇跡的に進んだ3次審査ですが、もうメロメロでした。元来、緊張した状況の中、人前で何かするのが苦手のほうなので、セリフは棒読みだし、面接でもうまく話せなくて。事務所の方も何の反応もなかったので「今度こそダメだろう」とガッカリしていたら、アイムエンタープライズから合格のお知らせが来て…! 「入所してプロになるのは3~4年後かな」と考えていたので、自分の予想よりもかなり早く事務所に入ることになりました。プロになる心構えもできないまま、あれよあれよという間に決まっていった感じです。
代表作はアニメデビューで主役を務めた『ラーゼフォン』
デビュー作は?
本科に在籍中に『リリーのアトリエ』というゲームでデビューしました。アニメのデビューは研修科在籍中にやった『ラーゼフォン』です。初めてのアニメで主役をやらせていただきましたが、現場ではあたふたしてましたね。それにキャストの皆さんは自分よりも大ベテランの方々ばかりで、すごく緊張しました。あいさつひとつするのにも「今、あいさつしにいったら邪魔にならないかな」とかドキドキしちゃって。本番ではとにかく失敗しちゃいけないと必死でした。
デビュー作で主役ということで思い出深い作品なのでは。
そうですね。いまだに初対面の方に「あ、あの『ラーゼフォン』の!」と言われますし。僕自身も綾人と似ていて、シンクロする部分もありました。演じていて下野紘なのか、神名綾人なのか、わからなくなる時もあって。
スタッフの方々の熱意もすごくて、ひとつひとつ作り込まれていて、今見てもまったく色あせない素晴らしい作品で、自分がこの作品に出ていたことが信じられません。たぶんまた綾人を演じることになっても、あの時と同じように演じることは難しいと思います。アフレコにも慣れていなくて、おどおどしていながら演じていたけど、全部ひっくるめて綾人だったのかなと今は思います。
楽しみながら一生懸命やることが大切
目標にされている声優さんはいらっしゃいますか?
声優になる前は山寺宏一さんや古本新之輔さんにあこがれていました。そして声優になって現場に入ると先輩達のすごさを改めて実感できました。目指す頂の高さ、遠さに気付いたというか。声優業は本当に奥の深い仕事ですね。今は誰を目標にというより、声優の方々にはそれぞれの道があって、自分はどう進んでいけばいいのかを一つ一つの仕事を一生懸命やりながら模索している最中です。
ありがとうございました。では、最後に声優を目指す皆さんへアドバイスをお願いします。
楽しみながら一生懸命やることが大切だと思います。ただ一生懸命にやろうと苦しみながらやっても人にはまったく伝わらないんですよね。日ナレ在学中、僕はいつも緊張しすぎて、セリフ一行読むのにも苦労していて、一つのページを読むのにも何度もかんだりしてました。ある日のレッスンでも何度もかんで、怒られるのかなと思っていたら、講師の沢木郁也さんから「お前は芝居うんぬんよりも、生きることに必死すぎる。もうちょっと肩の力を抜いて生きてみろよ」と言われて。その言葉を聞いた時、目からうろこが落ちた気がしました。気持ちが楽になって、レッスンだけじゃなく、生活の面でも少しずつ前向きになっていって、楽しめるようになりました。そうするとその楽しさが人に伝わるようになって。
声優に限らず、何をするにしても楽しいのが一番だと思います。そういう気持ちで日々、生活していけると状況や環境も変わっていくんじゃないでしょうか。そして自分を見失わないで、自分が目指す道を進んでください。