2009年10月9日アニメイトタイムズ掲載インタビュー
PROFILE
松田 健一郎 1月22日生まれ。アーツビジョン所属。
アニメファンの姉の蔵書からアニメの魅力に取り付かれる
声優のお仕事を知ったきっかけは?
小学2~3年生の時、うちの姉二人がアニメ好きで二人共、声優になりたいと言っていました。俳優さんが声をあてていると思ったら、それを専門にしている人がいることを知って。ただ小学生の時は、「アニメは子供の見るもの」と大人ぶってしばらく見るのをやめていたので、声優になりたいと思わず、野球選手や警察官になりたいと思ってました。
一時期見るのをやめていたアニメを再び見始めたのは?
アニメ熱が復活したのは中学生になった頃、偶然、姉の部屋に保管されていた古いアニメ雑誌を発見して、「こんなにおもしろい作品がやっていたんだ」と。一番心をひかれたのが『超時空要塞マクロス』で、ちょうど再放送が始まって見たらやっぱり面白くて。そこから他のアニメも見るようになり、『銀河英雄伝説』とか『新世紀GPXサイバーフォーミュラ』とか。アニラジも聴くようになって、新聞やアニメ誌でアニメ系のラジオをチェックして関西や東海地方の番組まで雑音リスナーで聴いてました。
法律系専門学校から日ナレへ方向転換
そして声優になろうと思ったのは何歳頃ですか?
20歳くらいで、当時は公務員を目指して法律系の専門学校に通っていました。1年目は同じクラスにアニメファンがいたので楽しかったけど、2年目にあまり成績がよくなかったのに、上のクラスに上げられてしまって…。案の定ついていけず、クラスの連中にもなじめず、結局学校に行かなくなりました。色々とつらい時期でしたが、アニメが心の支えでした。アニラジを聴いていると、皆さん楽しそうで、うじうじしている自分が嫌になって、何かアクションを起こさなくちゃと思ったんです。元々、専門学校に通っている時にも種火のようなものがあったし、声優になるためだったら頑張れるはずだと。それで雑誌を調べて、見つけたのが日ナレでした。
たくさんある養成所や学校の中から日ナレを選んだ理由は?
安い!(笑) 週1回ならバイト頑張れば払えない額じゃないし、週3回のクラスでもそれほど変わらないと思って。資料を見たら出身者の方もすごい方ばかりで、これだったらちゃんとしたところだし、何も心配いらないって。
基礎科で学んだのは“心を開くこと”
松田さんが選んだのは週3回のコースなんですね。
そうです。ボーカル、ダンス、演技を学びました。素人なのでどれも必要だと思って。
最初の1年目は基礎科ですが、同じクラスは高校卒業したばかりの人が多かったんですか?
そうですね。高校在学中の16歳の子もいました。他にもお子さんがいるお母さんや脱サラした方など、いろいろな方がいましたね。
基礎科で学んだことは?
声を出して、心を開くことでしょうか。僕はどちらかと言えば内向的な人間だったので苦労しました。前に出られない、声が出せない、死にたいと(笑)。
努力を続けないと差がはっきり出る厳しさ
具体的なレッスン内容について教えてください。
ボーカルレッスンでは基本的な発声ですね。腹式がどういうものかを理解して、体を使って覚えて声を出せと。ダンスレッスンでは、芝居は体力が必要だから体力をつけることと、表現の意味では声の芝居も体を動かす芝居も変わりがないから、動ける体を作れと。体力もかなり落ちていたのでつらかったし、筋肉痛で苦しみました。演技のレッスンでは滑舌を良くすること、朗読で文章の読解力、フリートーク、積極性を育てるといったことに1年を費やしました。
レッスンを受けている日以外は何をしていたんですか?
主にアルバイトと自主練をしてました。自主練をしてないとレッスンですぐにわかりますから。努力している人としていない人の差も如実に出てくるんですよね。みんなが覚えていることを覚えてなかったり、動けてなかったり。最終的にやっている人間だけが残れるという厳しさはありますね。
講師の方からいただいた言葉が今も糧に
講師の方から教わったことや言われた言葉で印象に残っていることは?
本科の時に舞台演出家の方に教わって、その方が「心を開くのは苦しいことなんだよ! さらけ出すことはすごく痛いんだよ! でもな、やらなきゃいけないんだよ。役者をやるんだから。できるんだよ、舞台に立つ役者っていうのは!」と何度もすごく熱っぽく語ってくれて。あまりほめてくれる方ではなかったのですが、最終日に発表会をやった時、「今日の松田君は頑張ってた。よかったよ」と言われて、この一言で一年の苦労が報われた思いがしました。「これ以上、怖いものなんてない」と自信を持ったんですけど、それ以上が待っていて。現実はこんなものじゃなかった(笑)。
ボーカルとダンスの講師の方も命がけで接してくれて、僕らだけでなく、自分自身にもストイックに追求している方で絶対手を抜かない。その方々が言ってくれたのが「なりたいものがあって、ここに来てるんだったらできるよね。苦しくてもやって当然じゃん。何でやろうとしないの?」と。強烈過ぎて、何度も大きな衝撃を受けたけど、自分にとっては必要なことだったと思います。今でもお会いすると「あっ、声優の松田さんだ。サインください」とか冗談を言われますが、一度だけ真剣な顔で「松田が声優になってくれてよかった」とか作品を見ていただいて「松田と気付かなかったよ。普通に聞いていられた。うまくなったな」と言っていただいてありがたかった。そんな方々なのにちゃんと連絡せずにすみません(笑)。
1度の落選であきらめず、オーディションに再挑戦で合格
どのような流れで事務所への所属が決まったんですか?
1年に1回、所内のオーディションがあって、基礎科、本科、研修科と進んだ3年目に3次オーディションで落選してしまって。3年やってダメだったらやめようと思っていたけど、あきらめ切れず、続けることにして、その翌年、アーツビジョンに合格することができました。基礎科の頃にやっていた「ういろう売り」をしばらくやっていなかったんですけど、ふとやらなきゃと思って練習し始めたら、面接の時、「ういろう売りできますか?」と言われて「できます!」と即答して。隣りの子は「できません」と答えたら「座ってください」と言われて「あぶねぇ!」と。基本だし、あなどれないなと思って、今でもやってます。あれはちゃんとやったほうがいいですよ。先輩から聞いたお話で、「これをやればうまくなれる!」と思って「ういろう売り」を必死にやったら家族が覚えてしまったと。そこまでやったんだと驚きました。
一度オーディションで落ちた後、続けようと思った理由は?
芝居が楽しくなってきたこともあったし、まだやり切ってないから徹底的にやろうと。人生の中でここまで執着したのは初めてのことだったかもしれません。
本気のゴッコ遊びをできるのが声優
声優の仕事の魅力はどこにあると思いますか?
いつになっても真剣なゴッコ遊びができることじゃないでしょうか。誰でも持っているはずの変身願望を仕事で叶えられる。でもみんな、本気で取り組んでいて、いかにリアルに近付けることができるか、いかにリアリティを持たせることができるかを突き詰めていく。楽しいけど、厳しくて、深い仕事だと思います。
声優になるために必要なこととは何だと思いますか?
常にアンテナを張っておくこと。いろいろな事象に敏感であることでしょうか。そうやって自分の感性を磨いて、自分自身のオリジナルを作ることです。人と違ったものを持っている人のほうが声優にもそれが当てはまると思いますし、実際そういう方ばかりですから。人間的にも魅力的だと思います。
なると決めたら腹をくくって自分を出し切るまで頑張れ!
声優を目指している皆さんにアドバイスをお願いします。
夢を信じればいつか叶うとか言われますが、それもただ漫然と待つだけでなく努力を続けた上でのことです。やれることもやらないで夢や成功を手に入れられるほど甘くないと思います。また自分の限界を知らないと、その限界を伸ばすためにはどうしたらいいのかもわかりません。まずは目いっぱいまで出し切らないと。僕も日ナレの講師の方によく言われました。「何ですぐにあきらめちゃうかな。後悔が残らないところまで本当に出し切ったのか? もしやり切れたのなら、(声優に)なれなかったとしても納得できるはずだぞ!」って。自分が胸を張って「出し切れた」と思うまで、がむしゃらに突き進んでください。
最後にメッセージをお願いします。
これからも皆さんが楽しめる作品に関われたらいいなと思っています。外画やアニメで名前を見たら頑張ってるなと思ってください(笑)。声優を目指している皆さん、僕は日ナレで学びましたが、どの場所で学ぶにしろ、結局は自分次第です。自分が選んだ場所で腹をくくって頑張って、意味のある場所にするのは自分であり、学ぶこと、経験することのすべてに無駄なものなんてありません。かといって教わることすべてを盲目的に信じることなく、その意味を考えることが必要です。またうまくいかない時に責任転嫁せず、問題は自分自身の中にあると考えて、自分を見つめ直してください。まあ、僕自身が日ナレでどこまでできていたのかはわかりませんが、夢への努力を惜しまなければ皆さんにもチャンスがあると思います。頑張ってください。
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