2008年1月18日アニメイトタイムズ掲載インタビュー
PROFILE
藤田 咲 10月19日生まれ。アーツビジョン所属。
きっかけは『デジモン』
そもそも、藤田さんが声優になろうと思い立ったきっかけは?
私は、小学生の頃からずっとマンガを読んでいましたし、アニメもドラマと同じくらい観ていて。そんな中で、声優さんの存在も意識するようになっていったんですけれど、そのときは“夢の職業”だったので、特に固執していたわけではなかったんです。でも、中学生のときに観たアニメーション映画『デジモンアドベンチャー』が本当に素晴らしい作品で、「こんな作品の一員になれたらどんなに素敵だろう!」と思ったことが、本気でなりたいと思ったきっかけでした。
脚本や監督といったクリエイターとしてではなく、声優として一員になりたいと思われたんですね。
イラストを描くのも好きだったので、クリエイターの側でもおそらくよかったとは思うんですけれど、そのときはキャストのみなさんが生き生きと演技していらっしゃったのがすごく伝わってきたんです。だから、その一員として、その世界にいるという感覚をすごく味わいたくて。そうですね……“デジモンワールド”を歩いてみたかったんです(笑)。
声優という仕事を認識したのはいつ頃ですか?
中学生の頃に、ずっと観ていたアニメのキャラがしゃべっているラジオ風のCDを買った時ですね。「あっ、これ声優さんなんだな」とうっすら思ったのが最初です。一番意識したのは高校生の頃ですね。演劇部に入った時、日ナレに通っている先輩が多くて。名古屋にいる声優をめざしている友達もほとんどが日ナレに通っていて、「日ナレって声優さんをめざす所なんだ。声優ってアニメの中に入れる仕事か」と。それが声優という職業を意識した瞬間でした。
当時、憧れや目標だった先輩はいらっしゃいましたか?
やっぱり子供の頃に観ていたアニメ作品に出演されている方は、みなさん憧れであり、尊敬する方です。例えば『ドラゴンボール』で3役を演じられていた野沢雅子さん。子供の頃に観ていたので、当時の私は3役を同じ方が演じているとは気づいていなかったと思うんですよ。そういう意味でも、役者として本当に素晴らしい方だなと思います。
では、声優として仕事の現場で衝撃を受けた方は?
一番最初に衝撃を受けたのは、文化放送『智一・美樹のラジオ ビッグバン』で、アシスタントとして共演させていただいた関智一さんと長沢美樹さんです。番組内にドラマコーナーがあって、その内容はアンダーワールドというか、一回読んだだけでは全然分からないような題材が多かったんですけど、プロの方の演技を目の前にして、「こういうことか!」と感動させられました。同時に「私はここに座っていていいのかな?」と自分との差も明確に見えてしまって……。でも、もしこの番組に出ていなかったら、きっと今、こうしてここにはいないでしょうし、もっと先で声優の夢をあきらめていたかもしれませんね。
大学と同時進行で日ナレへ
声優を目指すにあたって、学校選びでは何を基準にされましたか?
私、「大学には絶対行きたい!」と思っていたので、大学と同時進行で声優の学校へ行こうと決めていました。大学の合格発表が2月の終わりくらいで、養成所を探し始めたのが3月中旬以降だったんですけれど……他の養成所は早期に募集が終わっていて (笑)。でも、ありがたいことに日ナレが募集していたので、ここにしようと入所試験を受けたのがきっかけです。でも、高校時代、同じように声優を目指していた友達が日ナレに入所していて、その子から日ナレのことを聞いていたので、ここなら安心だと感じていました。
大学に通いながら養成所は大変ですね。時間の使い方も苦労されたのでは?
それが……私はすごく真面目に高校へ通っていたんですけれど、大学もその延長線だと思っていたら、大学って意外と時間の自由がきくというか(笑)。でも、大学1~2年ですべての単位を取り、3~4年からは養成所に重きを置こうと考えていたので、1年目は大学の方が忙しかったくらいでした。また、日ナレも週1回3時間のレッスンだったので、一週間の中でこの時間は演技のことだけをひたすら頑張ろうというメリハリをつけることもできましたし。あと、1年目の基礎科のクラスは、すごくいいメンバーが集まっていたんですよ。アグレッシブで、向上心のある人たちが多く、レッスンでも自分が考えてきたものが一番だろうと思ったら、全然思いつかなかった演技をする人がいたりして。「悔しいなぁ。来週はもっと頑張ろう!」と思うこともできました。
受講生の方々の年齢層も様々だったのではないでしょうか。
そうですね、私のクラスには高校生から30歳の方までいらっしゃって。「会社に勤めながらなんですよ」という話を聞き、すごいことだなぁと思ったりして、それでまた視野も広がったんです。それまでは、年上の方と話す機会もあまりなかったですし、もともと私は女子高で、男性の方と話す機会もほとんどなかったので、そういう意味でもいろんな方の話を聞けて、日ナレはすごく楽しいなと思える場でした。
ほめられるより、ダメ出しされたい?
レッスンの中では、どんなことが印象に残っていますか?
1年目の講師の佐野和敏さんからは、「誰よりも先に手を挙げなさい」と指導されました。自分がやってきたことをしっかり前に出てやりなさいと。私はそれまで、人前で演技をした経験がなかったので、その1年目ですごく度胸がつきましたね。
研修科の時、時代劇を題材にしたレッスンもあって。それまでは時代劇を見る機会があまりなかったんですけれど、そこで一生懸命、時代劇を見るようにしました。どういう履物を履いているのかなとか、女性の所作とか。講師の沢木郁也さんにも、とても厳しく指導していただいて。私、ダメ出しがないとすごく不安になるんですよ。「良かったよ」と言われるよりは、「ここをもっとこうした方がいい」と言ってくださる方が、すごく自分のためになるし、もっとステップアップできると思えるので、そういう意味でもとてもお世話になりましたね。
入所してからギャップを感じたことは?
そうですね……でも、私は当初、そんなに理想を高く掲げていたわけでもなく、低く掲げていたわけでもなく――芝居に関しては初心者でしたから。よく言われる「マイクワークができればいいな」といったこともあまり考えておらず、出された課題に対して「どうやろう?」と考えることがすごく楽しかったので、やっぱり私には日ナレは合っていたと思います。逆に、早いうちからマイク前に立っても、口先だけの芝居になってしまうのでは?と思いますし。もちろん、研修科になったら、ちゃんとマイク前での演技もできて、それがすごく新鮮だったりもしました。
自分で特に努力をしたり、気をつけていたりしたことはありますか?
「人よりもっと多くのアイディアを出そう」と思っていました。一つの題材があったら、最低3通りは考えてきて、他の人とは絶対別のことをしようとか、別な風に読むとか、別なキャラクターを構築するとか。誰も思いつかないことを提示するのがいいと思っていたので、毎回必死に考えていましたね
印象深いレッスンや、エピソードはありますか?
アメリカ式の感情表現法みたいなもので、椅子にだらーんと座り、全身の力を抜いて、そこで出てきた感情を「あ~~」と表現するというレッスンがあったんですけれど。そこで、なぜかふと我に返ってしまって。泣き出す子や笑い出す子がいて、不思議な空間にいるなって思ってしまいました(笑)。全身リラックスさせて体の力を抜くことって、すごく必要なことなんですけれど、やっぱり客観的になっちゃうとダメですよね(笑)。
確かにそうですね(笑)。では、ちょっと失敗した話や怒られたエピソードなどは……?
怒られた話といいますか……私、ダメ出しをいただくのが好きだったので、かえってほめられるとどうしていいのか分からなくなるんです(笑)。先程話した時代劇には“くのいち”が出てくるんですが、その中で、私は“くのいち”の頭領の役で、一目置かれている存在の役だったんです。その役の芝居を沢木さんがはじめてほめて下さったんです。でも、お芝居を認めて下さって嬉しい反面、逆にすごく不安になりました(笑)。
運命的な出会いだった『ビッグバン』
日ナレに通いながら、オーディションも受けていたのでしょうか?
はい。レコード会社さんの声優オーディションを受けました。たまたま日ナレで告知がしてあったんですけれど、当時は演技を習いたてだったということもあって、自分からオーディションを受けようという気はあまりなかったんです。でも、直前になって、やっぱり出ようと思って(笑)。そうして履歴書を出す2日前くらいに写真を撮影したんですけれど、プリントは縦型じゃないといけないのに、横型になって出てきちゃって。「縦型にしてください」とお願いしたら、トリミング代がかかって、すごく高い写真になってしまったことを覚えています(笑)。
そうした中で、事務所のオーディションにも挑戦されて。
そうですね……その年は、アニメ情報番組『アニメTV』のレポーターオーディションにも合格したので、ちょっと意気揚揚としていて、事務所のオーディションにも受かるだろうという期待感がすごくあったんですけど、見事に落ちて(笑)。でも、今ではそれで良かったなと思っています。そこでもし受かっていたら、やっぱりここにいなかったと思うんですよ。「世の中どうにかなるんだなぁ」なんていう気持ちが残ってしまっていたと思うので。
で、落ちたことがきっかけで、「この一年間は、事務所に入っている子と同じくらいスキルを身につけなきゃ」と思い、一般告知しているオーディションもいろいろ探したんですけど、見事になくて……。でも、たまたま学校帰りに雨が降って、迎えに来てもらった車の中で聞いたのが『ラジオ ビッグバン』だったんです。そこで番組アシスタントの募集を知り、「そうか、ラジオのアシスタントも声優の仕事だ!」と思ってオーディションを受けたんです。自分としては「待望のオーディションに参加した!」と、それだけで意気揚揚となっていたんですけれど、きっと受からないだろうと思っていたら、選んでくださって。もう、わけが分からないうちに、「明日収録があります!」「え!? 明日ですか!」という感じでした(笑)。
ずいぶん、急激に変わりましたね。
本当に運命的な出会いでした。番組スタッフのみなさんもすごく優しくて、「この素人たちをなんとか良くしていこう!」という想いがすごく伝わってくる現場でした。そして、関智一さん、長沢美樹さんの姿を見て、「これが声優だ。こういうふうになっていかなきゃいけないんだ」と感じ、与えられたものに対してもしっかりやろうと思い直せたんです。「自分はもう現場に出ているんだ」という意識から、普段から下手なものを出しちゃいけない、もう全部仕事だと思って、日ナレでもしっかり勉強しようと思えたんです。そのおかげもあって、中だるみもしませんでしたね。本科に通っている人は、「先がみえない。どうしよう…」と落ち込んじゃったりすることもあると思うんですけれど、私の場合はそういうふうに場を与えていただいていたので、なにかあっても、「ここを基準にして、あの人たちを目指していけば間違いないんだ」と感じられて、本当によかったなと思います。
まさにターニングポイントですね。
そうですね。ありがたいことに、失敗しても、なにかしら頑張ろうと思わせてくれる時期がやってくる。私は人よりすごいなんて全然思いませんが、私なりにマイペースに頑張っていけば、それなりになるもんだというふうには思うようにしています。落ち込まないためにも!(笑)
「一般生だからなんだ!」
今、声優・役者として大切なことというのは、どんなことだと思いますか?
あきらめないことだと思います。お芝居って、決して正解がないとはよく言われますし、この人には「すごくいい」と言われても、この人には「全然ダメ」と言われることもある。だから、意見をたくさん言われるようになっても、混乱せず、自分なりに選んでいくべきというか。ほめてくださる人の方へ歩いて行くのもいいことだとは思いますけど、そうじゃなくて、自分を叱咤激励してくれる人たちの方へわざわざ進んでいくというのもアリだと思うんです。やっぱり、最終的には自分の名前として作品に残るものなので、そこで自分が納得するまでは、決してあきらめないということが一番大事だと思います。
なるほど。自分自身の気持ちの問題、ということですね
日ナレで一緒に頑張っている仲間たちを見ていると、やっぱり何かしら持っている人が輝いて見えたような気がするんですよ。それは演技が上手いとか、何かが優れているということではなくて、何かしら内側から滲み出ているものがあるんですよね。選ぶ側の方たちも、きっとそういうものに惹かれているんだろうなと思うんです。……そういう魅力みたいなものが、どうやって溢れるのかは分かりませんが、頑張っている姿というものは意外と見られているんだと意識して、何事にも対処し、自分が納得するまで頑張っていくことが一番だと思いますね。むしろ日ナレは、特待生も一般生も、わけ隔てなく頑張っている人を見てくれているなって、それはすごく感じました。
特にそう感じられた場面やエピソードなどは?
『アニメTV』のオーディションに呼んでいただいたのも、「なんでだろう? 私、一般生なのになぁ」と不思議に思ったんですよ(笑)。オーディションには、特待生の人もいたので、さらに不安になっちゃったんですよね(笑)。「ここで折れちゃいけない。見られている見られている…」と考え直して。特待生は特待生というブランドがあるから、何もしなくても事務所のみなさんに注目されているんだろうなって、どうしても思っちゃうんですよね、一般生としては(笑)。
一般の会社でもそういうことはありますよね。よくわかります(笑)。
だからこそ、私は何も持っていなかったので、自分のことをみなさんになんとか覚えていただけるようにしようと思っていました。講師の方にも、事務局に物を取りに行ったりするときには、名前を大きな声で言いなさいとか、顔を覚えてもらうようにしなさいと教えていただいていたので、人一倍大きな声で「おはようございます!」と挨拶して入っていくようにして。そういう意味では、一番公平な目で見てくれるのが養成所だと思うので、一般生でもあきらめないことが大事です。「一般だからってなんだ!」って(笑)。
きちんと仕事をしていくことで繋がる連鎖
そうした想いの中で、事務所に合格したときは、感慨もひとしおだったのでは?
そうですね……その頃になると、事務所に合格したいというのも、『ビッグバン』のスタッフさんに喜んでもらいたいという想いが強かったんですよ。一番最初に番組のディレクターさんに電話して、「受かりました!」と報告したいという一心で、「絶対この年に受かってやる!」と思っていて。その前の年までは、やっぱり自分のためという気持ちがすごく大きかったんですけれど、それがこの番組のおかげで、誰かに喜んでもらうために自分が頑張ろうというふうに思えた。そうして合格したことをスタッフさんに報告でき、「よかったね!」と言っていただけて感激しましたね。
そうしてアーツビジョン所属となり、意識が変わったりしたことはありました?
でも、その後も事務所に所属できて嬉しいというよりは、やっぱり今ある現場のお仕事――『ビッグバン』もそうですし、『アニメTV』もやらせていただいていたので、レポーターのお仕事をきっちりこなさなければ、みなさんに喜んでもらえないし、迷惑もかかると思っていましたから、事務所に受かったからどう、ということは特別考えないでいました。今でも、自分が仕事をきっちりこなしていくと、みんなが納得してくれるという連鎖みたいなものがずっと続けばいいなという想いでいます。
では、最後に声優を目指す人たちへ藤田さんからアドバイスをお願いします。
なりたいと思っている人が、「足掛かり」としてはなれる世界だとは思うんです。そこから先は、いろいろ迷うこともあると思うんですけれど、やっぱり自分を指導してくださる方というのは、長年、現場の世界に生きていて、役者としてしっかりと歩んでこられた方たちだと思うので、まずは講師の先生方を信じること。その人を疑ったら、他に信じる人はいなくなってしまうじゃないですか。そうしたら、養成所に通う意味もおそらくなくなってしまうので、まずは大先輩に敬意を表することが大切だと思います。
そして、課題に対して「自分なりにこう作ってきました」というものを見せた際の指導に対しても、反感を持つとかじゃなく、なんでも吸収していこうという姿勢を見せていくことです。
そうすると「この子は吸収しようとしている」と感じてくださると思うので、そうしたら「これはできるか?」と言ってくださるじゃないですか。それをクリアすると、また「これはできるか?」と提示してくださる。そういう積み重ねが大切だと思うんです。最初は何も持っていないから、まずは「なにかを持とう」という志を見てもらえるようにする。そういう努力は怠らず、もっと真摯に、演技に対して向かっていくといいと思います!
ありがとうございました!
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